サービスハピネスクリエーター誕生まで!!
鴨頭嘉人 1966年12月23日 大阪の堺市で生まれる。
父親の仕事が『全国区の人事異動がある警察』であった為、子供の頃から3年に1回のペースで転勤引っ越しを繰り返す。
父親の仕事内容は、定年退職した今も一切教えてもらえない「墓場までもっていく仕事」だという事しかわからない・・・。
3歳の時、沖縄が日本に返還される。その年に沖縄県豊見城村(現在は豊見城市)に引っ越す。当時は車も右側通行。ドルと円が入り交じり、1週間の内4日間は断水しているという治安や行政が整備されていない状況だった。当時のご年配の方の心の傷だった戦争での日本本土からの迫害意識は強く、現在のそれからは想像もつかないレベルの「いじめ」を経験する。自分の友達もできず、沖縄のご飯も食べられず、たったひとりの兄の後ろを金魚のフンのようにぴったりついて歩いて自分の身を守る事に精一杯だった。
小学校3年生の時、福岡県小郡市に引っ越し。ここで自分の心のベースに「自分の事を愛する事」を刻んでくれた運命の人と出会う。小郡小学校3年3組担任のイヤミこと、守谷仁美先生だ。1週間の内7日間先生と一緒に過ごして、「自分はこの世にいて良いんだ」と自己肯定感を取り戻す。
高学年の頃には身体が弱くて39度の熱出しても「俺がいかないとみんなが悲しむんだ!!」と学校に行くことは自分の使命だと思い込む程大きく転換させてもらっていた。
中学から愛媛県今治市に引っ越し。中学高校の6年間を野球に捧げる毎日だった。当時今治西高校で甲子園でもベスト8まで勝ち進み国体では全国優勝したチームの5番バッターだった兄へのコンプレックスを抱えながら、野球部のキャプテンを務める。しかも、野球部創立以来初の補欠のキャプテンだった。
つづく・・・