私という人間はこうやってできました↓
はじめまして、ようこそいらっしゃいました。
8才から硬式テニスをはじめ、12歳から14歳まで群馬県のチャンピンとして頑張ってました。
当時、中学校に硬式テニス部はなく、校長先生に直談判し、許可を得て、放課後すぐにテニスクラブに通う日々を送っていました。
(田舎だったため、片道1時間)
同時に選抜の駅伝部に自ら志願し体力をつけ、更にバスケ部にも特別に入部させてもらっていました。
中学2年を終えると同時にテニスの名門柳川高校の横にある公立の中学校に通いながら高校生と練習させてもらっていました。
(初めて全国中学生大会に出場)
高校では16歳以下で1回、18歳以下で2回全国ベスト8、インターハイではベスト16、春の全国選抜では1年時準優勝、2年のときは3位でした。
1日に3回くらい辞めたいと思いながらも実質4年間、やりぬきました。
成績を買われ日本大学に進学したがテニスに燃え尽きてしまい、やるきゼロで3年までやりました。年間2,3大会程、適当に出場していたJOPでは400位くらいまでは
行ったかな。。。
いつからかテニスで食えないのなら辞めて、自分で歩める道を見つけたいと思い、4年になる前に退部し、バイトで食いつなぐという生活をしていました。
テニスコーチ、イベントスタッフ、防弾チョッキを着せられて、3日で14万というなぞのバイト。ネットワークビジネス等。学生ながら月に20万円以上稼いでいました。
無事に4年間で大学を卒業し、テニスクラブの社員として緑ヶ丘テニスガーデン(中山産業(株)に入社。
2年目に、会社から行かされた、なぞの2泊3日のセミナーに参加。(これがターニングポイントだった)
翌年に会社を辞めることを決意し、最後の一年間、そのクラブで1番になってから退社しました。
1週間の僕のクラスの生徒さんが約250人継続率、充足率ともに3ヶ月連続で1位。
隔月で全員に手書きのアドバイスカードを送っていました。
色々ありましたが無事に退社。
同時に尊敬していた人もそこを辞めてしまいそのクラブ自体の生徒数が200人ほど減ってしまったそうです。
その後、公共の施設を作るときにアドバイスや提案をする仕事をしていましたが、そこに就職するまでが地獄でした。
40社、50社、面接を受けましたが仕事がないんです。
中途採用はご存知の通り、「即戦力」しかいらないのです。
テニス一筋15年、社会にはまったく必要とされていないのです。
こんなにテニス頑張ってきたのに、勉強はしなかったけど、みんなが受験勉強してるときにも同じように頑張ったのに!
なぜ?
テニスを恨んだり、親に八つ当たりした時期もありました。
そしてなんとか知り合いの紹介で入社させていただいた。
しかし独立心がずっと心にひっかかっていた。
それから約2年・・・
運命の出会い(正確には再開)!
今の師匠です。その師匠のもとで修行し、
2010年 8月 独立
2010年12月 法人化
現在に至ります。
今は、お世話になったテニスの普及と
「本当に困ったスポーツ一筋の選手の再就職」
「スポーツ選手のセカンドキャリア」
この課題を解決するため動き始めたところです。更に、
テニス界(選手も協会も)の意識改革
地元「猿ヶ京温泉の再活性化」
これらを実現するべく、命をかけて全うしていきます。
僕の考えに
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たまに遊びに来てくれるかたも大歓迎ですので、みなさんよろしくお願いします。