下川正晴

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なぜ、「日韓次世代交流映画祭」か?

<定年前に退職し、韓国の大学教授に>

ー自己紹介からお願いします。

下川正晴 もともと新聞記者です。ソウルの特派員などをしてきました。バンコクでも特派員をしました。自分のライフワークは「コリア」だと思い、定年前の55歳で退職して、韓国外国語大学言論情報学部の客員教授になりました。日韓メディア論を担当しました。第2の人生は韓国の学生たちの教育に当たりたいと思ったからです。ところが、母の面倒を見ていた弟が亡くなったので、2年後には帰国しなければなりませんでした。現在は大分県立芸術文化短期大学で、現代韓国論と国際コミュニケーション論を中心に教えています。

ーなぜ韓国をライフワークと考えるようになったのですか。

下川 大阪大学を卒業するころ学生運動が盛んでした。当時、大阪市役所の職員採用における民族差別を糾弾するデモに参加し、1973年に毎日新聞社に入社後も、指紋押捺反対運動などを取材するなど在日韓国・朝鮮人の権利を守る運動に関心を持ってきました。

85年から1年間、ソウルの延世大学に私費留学しました。89年から94年までソウル特派員をするなど、韓国に深くかかわってきました。編集委員や論説委員もしました。そして55歳になった時、新聞記者としてやるべきことはすべてやった、これからはライフワークの韓国を仕上げていこうと思ったのです。

ーそれで退職して韓国に渡られた。

下川 その時2つのテーマを持ちました。ひとつは韓国の若者に日本のことをしっかりと教えること、もうひとつは日韓交流の触媒になるということでした。

日韓におけるひずみが何によってもたらされているのか? 僕はメディアの問題が大きいと感じてきました。そこで韓国では「韓日社会フォーラム」というNPOの理事(日本人は私だけ)に、メディアの諸問題について月例フォーラムを開きました。国民はメディアの言論情報の影響を受けます。したがって、その情報が正確なものであるのかどうかが問題です。私は1975年に初めて韓国を訪ねました。当時、日本で韓国は独裁国家といわれていましたが、実際に行ってみると、これから伸びる国だということがわかりました。

ー韓国の映画に強い関心を持っていらっしゃるようですが。

下川 もともと映画が好きで、よく見ていました。韓国に関心を持つようになると、韓国映画を見るようになりました。ソウル特派員時代も、暇さえあれば映画館に通っていました。韓国の映画の特徴のひとつは、現実社会をよく反映しているということです。どこの国の映画もそうでしょうが、韓国では社会の変化が激しいので、よけいにそれを感じます。

当時、日本人の韓国への関心は政治・経済面に対しては強かったが、韓国文化にはあまり興味がなかったのですね。そんなところから相手国への認識にゆがみが出てきます。映画は総合芸術です。映画を見ることで、相手国への理解を深めることができます。

ーところで、韓国映画の魅力はどういうところにありますか。

下川 韓国はスピードの速い激動する社会です。政権が変われば、社会も変わります。浮き沈みが激しいですね。映画はメロドラマが主流ですが、そのような社会を反映しています。

ー最近、植民地時代の朝鮮でつくられた映画が発見され、DVDになって出ていると聞きました。

下川 1930年代から40年代にかけてつくられた劇映画のフィルムが、この数年間、中国電影資料館(北京)の倉庫から発見されました。ソウルの韓国映像資料院が引きとり、「発掘された過去」のシリーズとして、DVDで発売されています。大分では日本で初の上映会をやり、映画祭でも一部上映しました。

ー現在の日韓関係をどのようにご覧になっていますか。

下川 韓国は日本と中国の間にあって、3千年苦労してきました。昔と違って(韓国とは)自由に往来できるようになりました。韓国社会は確実に良くなっています。日本より優れた製品を作り出すまでになりました。中国の文化大革命のとき、毛沢東は若者たちに「世界は君たちのものである」と言いました。日韓両国の次世代の交流が、どんどん進んでいることはいいことだと思います。

北朝鮮との問題がありますが、これは基本的には、韓国が解決すべき問題です。北朝鮮というより「金正日体制」というべきかもしれません。これをどう解決するかは世界史的問題です。しかし、南北分断の現状は彼ら自身が解決すべき問題です。米中日に依存する精神状態がある限り、それはできないでしょう。1965年の日韓条約で両国は国交正常化しました。これに対して賛否がありましたが、国際政治は歴史的課題を含め、現実的に処理されていかねばならないと思います。国際政治の中で100%ということはないわけですから。

ーこれからの日韓関係を考えるときどのようなことが必要でしょうか。

下川 近代史のなかでの日本の間違いは、あまりにも相手(欧米とアジア)を知らないままに付き合ってきたということです。それは今でも言えることです。映画を見ながら韓国人と話をしていると、韓国人の間違いに気がつくことがあります。韓国語でしゃべっていると、彼らの本音が出ます。意見が合わないため、たまには喧嘩してもよいと思います。喧嘩をしても日本人のよう後腐れはないですね。むしろ日本人が本音を言わないことで、不信感が生まれます。現実社会の中でよく考え、相手をよく知ることが必要です。(「日本とコリア」、2009年11月号)





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