はじめまして・・・
芦野 広美です。
悩みや不安、苦しみを抱えているお客様、
私と同じよな思いをしないために・・・
ともに時を重ねる喜び共有できれば幸せです。
お話しを聞かせていただく前に、
私という人がどんな人なのか私の話を聞いてください。
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【第一章】私は絶対に幸せになる!
「お母さん、どこに行くの?」
タンスの引き出しから、
服を乱暴にかき集めてはバッグに摘め、
身支度をするお母さんの後ろ姿を、
いまでも昨日のことのように覚えている。
私の出身は、大阪の豊中。
タイル職人の父は、典型的な職人気質で頑固者。
父の、母に対する暴力は絶えず、私たち3人の子供は、
いつも怯えて暮らしていたのです。
私はというと、物心ついたときから
アトピ-の症状に悩まされていました。
朝、目が覚めると、
シーツは血で赤く染まっていることも珍しくはありました。
かゆくてかゆくて、かくことを我慢できなかったのです。
小学校に上がると、ほぼ毎日の病院への通院。
通院のたびの注射は、小学生の私にとって、
信じられないほどの苦痛とストレスでした。
その辛さは、病院だけではありませんでした。
学校での体育の時間は、
幼い私にとって堪えがたかった。
半袖から見える私の腕の荒れを、みんなでバカにしているんじゃないか?
私のいないところで、ヒソヒソと私の悪口を言っているんじゃないか?
そんな被害妄想が、
私を追いつめていたのです。
本当に辛く悲しい毎日。
幼い私を支えてくれるものなんて、
何もなかったのです。
寂しかった。
私は、
孤独でした。
思春期になると、
肌に塗るステロイドを、
私は手放すことが出来なくなっていました。
外に出れば、十代の若々しくてきれいな肌は恨めしく感じ、
いつになっても改善することのないアトピーの症状は、
私の心を蝕み続け、
生きていることさえ辛くなっていました。
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【第二章】信じることから、逃げていた自分
時は過ぎ、短大を卒業した私は、銀行に就職。
相変わらず、アトピーには悩まされていましたが、
間もなくして、一人の男性と出会いました。
彼の、私の家族を思う優しさに心惹かれ、
私たちは、やがて結婚。
3人の子供にも恵まれ、
夏はジェットスキー、
冬はスキーを家族で楽しむ幸せな毎日。
子供の頃から、ずっと求めていた幸せを
生まれて初めて、心から感じていました。
「大丈夫! 私は、幸せを手に入れたんだ!」
しかし、
その幸せは長く続くことはなかったのです。
ー離婚ー
十数年連れ添った夫との、突然の別れでした。
「私だけは絶対に、
離婚しない!幸せになる!」と、誓ったのに・・・。
子供の頃から憧れていた幸せな家庭像は、
あっけなく幕を閉じました。
身が引き裂かれるほどの思いの私でしたが、
唯一の救いは、
3人の子供が私のもとに残ってくれたこと。
残った3人の子供は、私が絶対に育て抜く!
絶対にこの子たちには、つらい想いをさせない。
そうは言っても、二十歳そこそこで結婚した私には、
社会にでるのは初めてのようなものでした。
不安に押しつぶされそうになり、
眠れない日が続きましたが、
3人の子供たちを育てるために、
365日昼夜問わず、必死になって働きました。
そんな忙しい日々のなか、
あるとき、ふと自分の手を見ると、手や足に水泡が!
かゆくて、かくとえぐれてつぶれる。
「なんなの、これ?」
今までの症状とは明らかに違っていました。
手肌は、ベロベロにめくれあがり、
血で赤く染まっていました。
病院での診断は、
掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という原因不明の病。
それだけではありません。
ついには、精神病、そして鬱病まで誘発。
外に出たくない。
人に会いたくない。
日常生活さえも出来ない。
つねに、ジンジンと痛みがくる。
気が付いたときには、
私の肉体と精神は、ボロボロ。
もう外には出ることの出来ない
心と体になっていたのです。
そして、私にとって最も辛かったのは、
そんな辛い自分を、
家族にも友人にも伝えることの出来ないことでした。
小さいときから、
親に迷惑をかけてはいけないと言い聞かせて生きてきた私は、
「どんなに辛くても、人を頼ってはいけない!」と、
自分の本心を、押さえ込んでしまうようになっていました。
人を信じることも出来ず、
自分の弱いところをさらけ出すことも出来ない。
甘えたいけど、あまえられない自分。
このときほど、
そんな自分にいら立ちと孤独感を
感じたことはありませんでした。
気がつけば、
離婚から8年がたとうとしていたとき、
知人の紹介で心理学に出会いました。
心理学を学んだ私は、、、
「え!本当の私って・・・そうだったんだ!」と、
生まれて初めて、自分のことを知ることが出来ました。
傷つくことから逃げていてばかりの自分。
未来に不安がり、
自分だけが不幸なんだと
嘆いていた自分に気付いたのです。
そんな自分に気付いてからの私は、
どんどん自分が変わっていくのが
手に取るように分かりました。
それまで気付かなかった「人のやさしさ」。
そして、「心から人に感謝できる自分」が芽生えたのです。
そして、心理学で本当の自分を知り、
認め、前を向くようになってから
私の周りで起きることのすべてが変わり始めました。
その大きな変化の一つが、「人との出会い」でした。
私の人生を変える、ある社長との出会いがあったのです。
その方の、「人のために生きる姿勢」、
そして、「絶対に人を裏切らない広い心」は、
その後の私の心の支えとなり、一歩前に出る勇気が芽生えたのです。
「ありがとう。本当にありがとうございます」
心から感謝の思いが溢れてきました。
気がついたころには、鬱病も精神病も完治。
そして、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という
原因不明の病も、徐々に完治の方向へと向かっていったのです。
発症から、3年もたったころでした。
今では、独特の疲労感、冷え、便秘、
足のむくみ、頭痛といった症状もなくなりました。
こんなことは、生まれて初めて。
若かった十代の時でさえ、感じたことのない
何とも言えない充実感を、いま、感じているのです。
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【第三章】私に関わる全ての人を、支援する。
いま、私は幸せです。
いつも、人の「愛」から避けていた私は、
いま、愛を与えることの大切さを知りました。
あれだけ自分を不幸だと思っていた私は、
いま、溢れるほどの愛を周りの方からいただき、
心から幸せを感じています。
思い返すと私の人生は、
人に支えられて生きてきました。
ある日、子供たちが私に言いました。
「最近、イライラしなくなったね」
ゴメンね。
知らず知らずのうちに、
子供たちにも負担をかけていたんですね。
そんな子供たちも、今では私の誕生日にお祝いをしてくれる
本当に母親思いの優しい子に育ってくれました。
私が、一番辛かった時期に手を差し伸べてくれた尊敬する社長、
辛いときに出会った人たち、そして家族、
「ありがとう。みんなのおかげで、私はいま、こうして生きている」
みなさんの支えがあったからこそ、
いま、こうして前に進むことが出来る。
私はいま、毎日が感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、私にも夢が出来ました。
私がアトピ-から立ち直ったのは、病院の薬ではありません。
病院では、アトピ-は直せないのです。
アトピ-は、自分で直す病気です。
でも、それは体験したものでないと分からないこと。
経験した私だから分かることなのです。
直してくれたのは、まぎれもなく、人の「与える愛」でした。
これからは、自分と同じ苦しみを経験している人たち、
本当は前向きなのに元気がない人たちを、元気にしたい。
人の「ココロ」と「健康」と「美容」をサポートしていきたいと考えています。
この決意を、私の家族、
そして、これまで私に関わっていただいた全ての方々に
感謝の思いとともにお伝えし
そして、私にも夢が出来ました。
私がアトピ-から立ち直ったのは、病院の薬ではありません。
病院では、アトピ-は直せないのです。
アトピ-は、自分で直す病気です。
でも、それは体験したものでないと分からないこと。
経験した私だから分かることなのです。
直してくれたのは、まぎれもなく、人の「与える愛」でした。
これからは、自分と同じ苦しみを経験している人たち、
本当は前向きなのに元気がない人たちを、元気にしたい。
人の「ココロ」と「健康」と「美容」をサポートしていきたいと考えています。
この決意を、私の家族、
そして、これまで私に関わっていただいた全ての方々に
感謝の思いとともにお伝えします。

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