~自己紹介~
ビル・マンションや個人のお家もつくる…
全ての建築土木工事に精通した現場監督兼建築士。
住宅営業時代は神が降臨していましたが、現在は離れました(泣)
最近は最弱フットサルチーム平野FCの現場監督兼選手(月2回ぐらい)
約23年前、大東市で親父が大工で工務店を経営していましたが、
私が中学校1年の12月に急逝。残務を母親が職人さんと協力して完工させ廃業。
(もし生きていたら、高校卒業後の人生は変わっていたと思われます。)
小学生の頃、親父に嫌々現場に連れて行かれたりしたことがトラウマで
「絶対に建築関係はしないぞ」と思っていました。
だから高校は普通課に行っていましたし、進路など決めてませんでした。
それが進路指導で突然、建築の専門学校に行くことを決めてしまいました。
祖父も鉄骨屋さんで高速道路とかお城の骨組みの設計をやってたとかで、
突然の行動は建築一家の血でしょうか??
(どこかのお城が全部鉄骨で上棟してる写真を見て衝撃を受けました。)
20歳から7年間、地場のゼネコンで現場監督として修行しました。
なんでもさせてもらえる会社でしたので、ものすごい勉強になった時期です。
1級建築施工管理、2級建築士もこの時取得しました。
徹夜やら、夜中3時ぐらいまで働きまくり休みも殆どなく、仕事が趣味状態でした。
この時期で、精神的にもタフになり、スキルも身についたと思います。(鈍感になった??)
苦労して造った現場が、「住宅建築」って本に載せてもらったときは、うれしかったです。
頑張っても、会社が儲からないことには作り手は不況のあおりを受けます。
先が見えず生活もどんどん苦しくなり、追い詰められた自分は・・・
会社の利益に直結している、未知の領域「営業」でどこまで出来るのか、
挑戦したくなりました。
営業ならプロフェッショナルが集う不動産会社に転職・・・
27歳から辞めるまで、建替え住宅専門の専属営業になりました。
畑違いだからか、入社から半年間なにをやっても全く売れません・・・
「しまった~、甘かった~、向いてない~!」っておもいました。
しんどかったですが、仕事はゼネコンの時から一貫して楽しかったです。
それから、自分なりに努力・研究しながら、経験や失敗を積み重ね、
色んなすごい人たちとの出会いがあり、自分の営業スタイルを確立しました。
競合しまくる建替え住宅のみを、1年6ヶ月連続受注などの記録をつくり、
そこそこ売れる営業マンになりました。
そして30歳、全くのゼロから工務店経営はじめました!
何屋か分かりやすいのと親父を超えたいので、同じ屋号で再開業しました。
しかも、親父の独立も30歳らしいです。事後ですが、因縁を感じました。
「平野工務店」は親父に守られてるような気がします。
ゼロから始めましたが、私は2代目なのです。