【緑川英悟のプロフィール】
■緑川英悟のプロフィール■
【幼少期】
いつでもボケたがりの父と、いつでも冷静な母の元、
この世に生を授かりました。
幼少期の写真はほとんど変顔&変なポーズで
映っています。
まわりから「お父さんによく似ているね」
と言われていたように、
父のボケたがりの性格を見事に継承していました。
また、甘えたがりの一面もあったようで、
台所で料理をしている母とさえ
手をつなぎたいと駄々をこねていたそうです。
そのボケたがりと甘えたがりの性格で、
親戚一同からはものすごくかわいがられていました。
正月などは常に誰かしらの膝の上で
過ごしていた記憶があります。
父と母がどれだけ断っても、私にプレゼントをくれる
親戚は後を絶たなかったといいます。
ある親戚のおじさん曰く、
「やり口が一流ホステスと同じ」
だったそうです。
【小学校時代】
小学生時代はずっと野球をしていました。
当時はJリーグも開幕前で、
野球が人気を独占していた時代です。
監督がすごく厳しい人で、1年365日のうち、
330日は練習か試合をしていました。
しょうもないミスをするとビンタされ、
鼻血を垂らしながら日が暮れるまで
ノックを受けた日もありました。
指を骨折したのを隠したまま
試合に出続けたこともありました。
それでも辞めなかったのは、
野球が本当に好きだったからでしょう。
また、当時は「練習中は極力水分を取らない」
という方針があり、夏の練習は本当に地獄でした。
休憩の時に一杯だけ飲むことが許された麦茶の味は
今でも忘れることができないくらい格別なものでした。
そんな苦しい練習に耐え、メキメキと実力を伸ばし、
6年生になる頃には周りに敵なしの
強豪チームになっていました。
今でも実家には多くのメダルとトロフィーが
飾ってあります。
野球を通じて身についた根性と、
基礎を大切にするということは
今でも自分の根っこの部分を形成していると思います。
【中学校時代】
中学時代のコンプレックスは背が低かったことです。
小学生の高学年からピタリと身長が止まり、
逆にまわりはものすごいスピードで伸びたため、
気が付けばクラスの中でもかなり低い方でした。
ちなみに、中学1年生のときの身長は147cmです。
好きだった女の子が僕よりも背が高く、
会話をするときに見下ろされるのが、
嫌で嫌で仕方ありませんでした。
「手も足も大きいし、いずれ身長は伸びてくる」
と家族から言われても、
「今伸びなきゃ意味がないんだよ!」
と毎日牛乳とチーズを食べ
彼女の身長を追い抜こうと必死でした。
毎日保健室に行き、「1ミリ伸びた!2ミリ縮んだ。。。」
などと言っては一喜一憂していました。
そんな努力が実を結んだのか、
遺伝的なものかはわかりませんが、
中学2年の夏、とうとう彼女の身長を追い抜きました。
ある日彼女に、
「もう追い抜かれちゃったね」
と言われた時の嬉しさは今でも忘れていません。
【高校時代】
高校時代は一生付き合っていく友達ができました。
誰でも一回は経験がある、
「小・中・高・大学生時代に戻れるとしたら、いつ?」
という質問。
いつも即答しています。
「高校時代!」と。
それくらい、楽しかったです。
高校1年生の冬、膝の怪我をきっかけに野球部を辞め
それからは遊びに全力を注ぐようになりました。
「はぐれメタル」と呼ばれるくらい、
学校への出現率が低かったのを覚えています。
高3の夏休み前、生徒指導室に呼ばれました。
数学の授業を欠席はもちろん、1回でも遅刻したら
留年が確定すると宣告されました。
自分としては、高校なんてもうどうでもいいや、
と思っていたので、留年するなら辞めるつもりでした。
そのことを友人達に告げると
「俺はお前と一緒にこの高校を卒業したい」
と言ってくれました。
ほんとうに、涙が出るくらい嬉しかったです。
それからは心を入れ替え、真面目に通学しました。
なんとか卒業することができ、なんと、
大学に進学することもできました。
あのときもし高校を中退していれば、
今頃はどこで何をしていたのだろう?
と、ふと考える時があります。
間違いなく、今の自分はいないでしょう。
ほんとうに感謝してもしきれない。
お前ら全員大好きだ!!
【大学時代】
大学時代は活字に溺れました。
大学に入る前はマンガしか読んでません。
しかし、「もう大学生なんだから」と
ある日小説を買いました。
経済学やビジネス書ではありませんので
あしからず!
これがおもしろくて、おもしろくて、
その日の夜に読み切ってしまいました。
それからです。
教科書を持つことを止め、ヒップ・ポッケに
文庫本をねじ込むようになったのは。
ひどいときは1日に4冊くらい読んでいましたね。
同じ学科の人からも、
「あぁ、あの本ばっかり読んでる人ね」
という感じで認識されていたようです。
そして、漠然と「本に関わる仕事がしたい」と
思い始めるようになりました。
スーツを着る典型的なサラリーマンだけには
なりたくないと思っていました。
しかし、大学3年生のときに居酒屋で
アルバイトをしたのをきっかけに
ビジネスの世界に興味を持つようになります。
真面目な勤務態度が評価され(!?)
全国接客コンテストに出場することになりました。
そこで優秀賞を獲得し、信頼はさらに厚いものに。。。
ついには、その居酒屋を経営する親会社の
経営会議にお呼びして頂くようになりました。
もちろん、「アルバイトの学生さん」じゃなくて
「ビジネスパーソン」としてです。
それをきっかけに読む本が、小説からビジネス書に
どんどんシフトしていくようになりました。
せっかく経営会議に出席することができるのに、
発言しないで帰るのは絶対にダメだ、
という思いがあり、必死で勉強しました。
自分の意見が取り入れられるとこともあり、
それが集客アップに繋がったときは、
ほんとうに嬉しかったです。
すっかり、ビジネスの楽しさに魅了されました。
大学を卒業した後、スーツを着た典型的な
サラリーマンになっていました。
しかし、誇らしい気持ちで胸がいっぱいでした。
【社会人時代①】
研修期間を終え、配属になった部署が希望する
「第2営業部」だったときは、ほっとしました。
これで営業ができる!
OJTとして一緒に営業同行させて頂いた先輩が
「10年に1人の逸材」と言われている方で
営業マンとして多くのことを学びました。
競合がいないビジネスだったため、
(だから第2営業部を希望した)
新人でも難なく契約を取ることができます。
入社3年目までの新人コンテストでも
3位に入賞し、賞金まで貰うことができました。
しかし、悪いことは突然起こります。
入社して1年が経過したとき、
他部署の業績悪化のため、ダウンサイジングが
決まったと本社から連絡がありました。
所属していた営業所が閉鎖になる、と。
いろんな営業所から「うちにおいでよ」と
引き合いがありましたが、考えに考え抜いた結果、
辞めることにしました。
営業マンとしてもっと大きなフィールドに
挑戦してみたい、という思いがあったためです。
【社会人時代②】
しかし、転職活動は上手くいきませんでした。
営業所が閉鎖になったとはいえ、世間からしてみると
「新卒で入った会社を1年で辞めた根性なし」
でしかなかったのです。
そんな中、運よく試験に合格し、
ある公的機関の非常勤職員として
働くことになりました。
このままではダメだと思い、会計と英語の勉強を
始めたのもこの頃です。
今の自分には何の武器もないと思ったからです。
また、悪いことが突然起こります。
祖母が病気で倒れてしまいました。
朝から夕方は親戚のおばちゃん、夕方から夜は私、
夜から朝は父という3交代制で24時間、
祖母を看病していました。
毎日4時間、病室でふたりきり。
喋ることができなくなった祖母の手を握り、
いろんなこと考えていました。
昔一緒に遊んだこと、今ここでこうしていること、
そしてこれから自分はどう生きていくんだ?
祖母は喋ることはできなくなりましたが、
時々ふと意識が戻り、病室を見回して
私と目が合うと、にこりと微笑みます。
酸素マスクの中の口が、少し動く。
私には祖母が何と言っているかわかっています。
「お小遣いあげるからね」
いつまで経っても、祖母からしてみると
かわいい孫のままなのでしょう。
薄暗い玄関、点滅している蛍光灯、
足の裏にへばりつく廊下、消毒の匂い、
昨日まで誰かいたはずの部屋が、
綺麗に掃除され、からっぽになっている。
結局祖母は、倒れて入院した日から半年後、
亡くなりました。
その命日は私の誕生日でした。
それからも自問自答を続けていた私は
「海外事業に関わるコンサルタントとして
社会に貢献していく」と心に誓いました。
必死に勉強を続け、会計の資格を取得しました。
人生で一番勉強したと思います。
そして、晴れて国際コンサルティングファームから
内定をい頂くことになりました。
まさに奇跡です。
これからも、努力・努力・努力で
一人前のコンサルタントとしてクライアントに
そして、社会に貢献していけるよう精進していきます。
為せば成る!