プロフィール

ニックネーム
札幌の外食ビジネス専門家 有限会社ファインド 太田耕平
性別
男性
職業
自営業
職業詳細
有限会社ファインド代表

札幌の外食ビジネス専門家 太田耕平


 
【 おもな仕事は下記の通り 】

① 外食ビジネス (個人店・チェーン店・全ジャンル対応可能) 専門コンサルティング

② 外食の業界人38年目の食べるプロ

③ フードアナリスト・コラムニスト

④ ビジネスコラボのコーディネーター

⑤ ビジネス交流会のディレクター

⑥ ビジネスマッチングのコーディネーター

⑦ 講演会・セミナー講師

⑧ 食ビジネス研究所所長

⑨ 食ビジネスの販路開発&拡大

⑩ 各種イベントなどのディレクション

⑪ その他

▶ WEB名刺は下記をご覧ください。
http://www.jagajaga.jp/index.php/name-card

▶ 経済産業省/中小企業応援センター/登録専門家
(2009年度~2010年度)
 
▶ 経済産業省/中小企業支援ネットワーク強化事業/登録専門家
(2011年度~2012年度)


【 アクティブ系の趣味は… 】

◎ ビリヤード
◎ 卓球
◎ ボウリング
◎ GOLF
◎ 海外旅行 (渡航回数100回超え)
◎ 視察&社会見学
◎ ランチ銘店めぐり
◎ 美味しい料理屋さんめぐり
◎ スイーツ店めぐり
◎ カフェめぐり
◎ 料理 (主に洋食系)


【 文化系の趣味は… 】

◎ カメラ (撮影) を楽しむ
◎ マージャン
◎ ポーカー (テキサスホールデム)
◎ カジノ (ブラックジャック・ルーレット)
◎ 将棋
◎ パソコン&ギアいじり
◎ 英語を楽しむ (カジュアル)
◎ タイ語を楽しむ (カジュアル)
◎ 映画&DVD 観る (アメリカTVドラマ)
◎ 音楽聴く (JAZZ・Beatles・フォーク・ソウル・ロック・Bossa)
◎ バンド演奏&ソロ演奏 (ギター)
◎ カラオケ・生オケ
◎ 本を読む (主にビジネス書)
…僕のWEB本棚は下記ページから
http://booklog.jp/users/findsapporo


ほとんどのスキルや趣味は
人並み以上!

~ でも残念ながら ~

「並み外れたレベル」にある種目が
ほとんどな~い!…それが僕です (笑)


▼ 続きは下記のページから
http://ameblo.jp/findsapporo/entry-11546643407.html
 

【 有限会社ファインド 代表 太田耕平 History 】

1961年9月 北海道札幌市生まれ

1976年 北海道札幌開成高校1年(15歳)の時に、所属していた演劇部の先輩に連れられ行ったカフェのオーナー「さいとうまさひろ氏」と運命的に出会い、その後の4~5年間で人生最大の影響を受ける(私の記念すべきメンター第一号である)

※ さいとうまさひろ氏

エムズカンパニー代表。札幌の飲食プロデューサーの草分け的存在で1975年前後に札幌市内でオーナーとして「写楽」「ぜんまい仕掛け」「ペリカンバー」「With-Bar」などアバンギャルドな店舗を展開、いち早くアジアのエスニック風な料理に着目した店舗「屋台料理camcam」が札幌で大ヒットする。その後、現場でのオーナー&プレーヤーを若手にバトンタッチ、複合商業施設(長屋型)の建物オーナーへと転身し、エムズスペース(南2西7)、ペンシルビル(東急ハンズ裏)、エムズ二条横丁(南2東1)、エムズイースト(南2東1)などを立ち上げ、札幌の若手飲食店オーナーの兄貴(父親?)的存在で現在に至る

高校在学中のこの出会いをきっかけに、ホテル・レストラン・カフェなどでのアルバイトをスタート、飲食業界で働く喜びに目覚め、さらに私の脚は、東京下北沢・吉祥寺・名古屋・金沢へと向かい、本州を放浪しながら、今でいう「おしゃれでCOOLなお店」で働くことを喜びとし青春時代を過ごす(サービス業が私の天職であると感じたのは16歳の時)

1981年 働いていた札幌市内のシティホテルから宮の森の洋食レストランへ転職。この時に私のメンター第二号である「あしぐちやすお氏」と出会い、その後、別々の会社で働いているときも10年以上にわたって、「あしぐち氏」から多大(巨大)な影響を受けた

※ あしぐちやすお氏

35年前に札幌市内で「三本指に入る」と言われた伝説のギャルソン(ウェイター)。卓越した料理&ワインの知識とリピーターをつかんで離さない「魔法の接客サービス」で、札幌市内の多くの飲食オーナーから、いつも引き抜きの声がかかる「ザ・プロフェッショナル」であった。その後多くのレストラン・ホテル・複合商業施設などの立ち上げを経て、現在は株式会社アレフで世界中の食材を探し回る日々のようである

1980~90年代 この間、バブル期などの影響もあり、約20年間で14の会社に所属(ちょっと高めの給料を提示されるとヒョイヒョイと釣られて動いていた)。おかげさまで、この期間に担当させていただいた業種・業態は50以上。居酒屋(低価格)・居酒屋(高単価)・魚河岸・焼肉(高級店)・カクテルバー・ケーキ屋・パン屋・グルメ食材屋・ファミリーレストラン・ダイニングレストラン・イタリアン・フレンチ・パスタ専門店・チキン料理専門店・JAZZライブレストラン・エンターティンメントレストラン・カフェ・丼専門店・多目的ホール・シティホテル開業統括…などなど、ありがたい経験をいくつもさせていただいた

1994年 総面積470坪/月額家賃600万円のメガ店舗カラオケボックスの再建をするために第一興商に移籍する。入社1年後に北海道の担当社長が交代し、この時に私のメンター第三号である昭和ひと桁生まれの「まきのひろし氏」が社長に就任する。私は「まきの氏」から「プロ経営者とは何ぞや?」を徹底的に教え込まれ、これまで多くの物件を成功に導いたと自負していた私の高い鼻をガツンとへし折られた。最終的に私が会社員を卒業し社長業という道を選択できたことも、「まきの氏」からの多大な影響からであることは言うまでもない

※ まきのひろし氏

最近何かと話題の西松建設の幹部(日本主要都市の支店長など)時代に、ゼネコンのクライアントであった第一興商の創業社長保志忠彦氏と出会い、九州第一興商の社長を経て北海道第一興商の社長に就任する。私が会社員時代に出会った多くのオーナー社長と異なり、まきの氏は日本人としては非常に珍しいプロ経営者(CEO)であった。幹部社員の能力をいち早く見抜き、多くの権限を幹部社員へと譲渡していく(エンパワーメント)見事さで、私のカラダに「経営というスピリット」が改めて目覚めた

第一興商在籍時代に、私は記念すべき「2つの日本タイトル」を獲得した。それは、日本一の売上と日本一の集客数を記録したカラオケ「ビッグエコーすすきのアメリカ店」(南4西3第3グリーンビル)の総合ディレクション、もうひとつは、日本一の売上と日本一の稼働率を記録したバッティングセンター「スラッガーズ」(南5西2)の総合ディレクションである。業界人にとって、たとえ賞状・トロフィー・賞金がないとしても、「日本一の称号」は私の人生の中で大きな財産である。これらの「日本一の知名度」を背景に、第一興商時代には道内多くの企業遊休地の再活性化プロジェクトのお声かけをいただき、小樽・帯広・旭川・函館・網走・苫小牧などのプロジェクトで、ゲーム機メーカー・回転寿司機器メーカー・弁当屋さん・スーパー銭湯関係メーカー、その他多くの企業とコラボレーションで仕事をさせていただいたことが現在の私の会社につながっていることは言うまでもない

2001年5月 外食ビジネスのコンサルティングオフィスとして「ファインド」を個人事業で創業

2003年8月 個人事業を「有限会社ファインド」として法人化