クラシック音楽を聴く、醍醐味。(まだ、草稿ですが…。)
音楽好きの人は、多かれ少なかれ音楽にひたって現実を忘れ
させることを望んでいるのではないでしょうか? ただ、逃避する
というだけでなくそこにはいろんな意味での希求があるように思い
ます。その音楽のムードやキャッチーなメロディがいい、かっこ
いいと感じるというのもあると思いますし、自分に寄り添ってくる
かのような、自分の気持ちを代弁してくれているような感じがよい
とか、生活にリズムを与え鼓舞してくれるような曲を求めたり、
人によって幾分違うかもしれませんし、曲によって求めるものが
違ってくるでしょう。 そして、曲・演奏によって深い感動が
えられ、充足感が味わえることは確かです。
この中身を自分なりに解釈しますと、聴き手が意識するしないに
かかわらず次のようなことが言えるのではないかと考えますが
いかがでしょうか?
1.自分のいままでの半生の中で感じた複雑で多様な心象風景
(悲喜こもごも)と同じものが曲・演奏に認められる、
つまりそこに真実が感じられ、そのことで心打たれる。
2.自分にとっての理想の心のあり方になんらかの示唆を与えて
くれる。道徳的・精神的な道筋を清濁あわせのむ感じで
教えてくれる。
3.ルネッサンス、バロック音楽などの宗教的なものに
安らぎを覚える。神の慈愛・厳愛を感得できる。
(私は無宗教ですが。…)
4.日常生活の中で、自分の喜怒哀楽の表現が押圧されて
(様々な社会的慣習にしばられて)発露したいのにできない。
音楽鑑賞(とくに芸術的・精神的側面に-)がその代償行為
となる。 (…というようなことが、シュタイナー教育の本に
書いてありました。)
なかなか言葉には言い表しにくいのですが、日頃そんなことを
考えています。 こうした感動を求めてほかのジャンルには無い、
同じ曲を別の演奏で聴く楽しみがクラシックにはあります。 同曲
異演を聴き比べると、これはもう別の曲ではと考える程違って
きます。 「なんで自分の好きな曲でこんな演奏をするんだ。」、
というものから「この曲は、これで充分、もうほかの演奏は
いらない。」というものまで。…また、「演奏でこんなアプローチ
のし方があるんだ。 いままでとは別の良さを引き出している
なー。」…とか。 私の場合の好みやその変遷を具体的にあげ
ますと、
・リパッティのピアノによる「ショパンのワルツ」
-初めて聴いたときには、人間性がなんて高みのところまで
いっているんだ。自分の矮小な部分や汚れた部分がはずか
しく感じられ、以降聴く気がおきません。ただ、高貴さでの
インパクトは比類ありません。-
・ヨハン・セバスチャン・バッハの曲
-ドイツ風の緊密な構築性を感じさせたり、お役所の窓口で
説教されるような演奏がにがて。逆に、ふんどしがゆるくて
人間味があったり、女性の色気があるような演奏は
好ましい。-
(…バッハらしくないとも言えますが。)
・ベートーヴェンのvnソナタ5番
-第一楽章をゆっくり演奏してその第一主題の名旋律を
堪能させてくれるものが好み。多分に仏映画(トリコロール・赤の愛)
のテーマ曲に使われたのを聴いた影響大。-
・好みが移り変わったものとして
-クラシックを聴いてしばらくは、チェンバロとオルガンは
苦手でした。 チェンバロの音は何かギスギスと貧しく聴こえ、
オルガンは何かシンセサイザーのように聴こえたものです
から。 …しかし、どういう訳か今はピアノより両方ともに
惹かれます。 チェンバロは、ギスギス・キンキンとした音
ではない録音にふれたことで、オルガンはブルックナーの
交響曲を聴くに及んでという気がします。