■生い立ち
私が生まれたのは、リカちゃん人形が発売され、仮面の忍者赤影の放映がスタートした1967年のことです。漢委奴国王印が出土された福岡県・志賀島の近くにある香椎というところに生まれ、父は繊維会社の出張所長をしていました。
その後万博の頃、大阪の千里ニュータウンに、さらに父の転勤にあわせて京都へ移り住みました。
子供の頃はとっても真面目でおとなしい性格でした。小学校の卒業論文に「大学教授か厚生省の役人になりたい」と書いたのを覚えています。その頃話題に上っていた公害病で苦しむ人を助けたいと思っていたのです。
母親がとても教育熱心だったので、私は進学塾に通い私立の中学校に入学しました。ところが親の敷いてくれたレールに乗っていたのは中学1年生まで。中学2年生の時に友人からロックの洗礼を受け、まるで勉強をしなくなりました。
高校1年生の時にはじめてギターを買いました。エリック・クラプトンモデルだと思い込んでいたサン・バーストのフェルナンデス製ストラトです。
それからロクに勉強もせすバンド三昧の日々を送りましたが、幸いエスカレーター式の学校だったため難なく大学にも入学。軽音楽部に入部してやはり音楽漬けの毎日を過ごしていたのです。
■お気楽な人生がお先真っ暗に
そんなお気楽な学生生活を過ごしていた大学3年生の頃です。私の母がうつ病にかかりました。しかも更年期障害を併発・・・ある心理療法家の心ないひとことが引き金になり将来に絶望してしまった母は、ちゃんと投薬治療を受けていたのにもかかわらず、あろうことか50歳という若さで自ら命を絶ってしまったのです。
子供をエリートにするために、贅沢ひとつせず家計を倹約。学費や塾の費用を捻出して家族のために尽くしてくれた母・・・子育ても一段落し、やっとこれから自分の人生を謳歌できる・・・そんな矢先のあまりにも酷いできごとでした。
■夢も希望もなかった20代
私は母を支えきれなかった罪悪感にさいなまれました。そして「こんなことがバレたら世間から後ろ指を指されるに違いない」「誰もこんな家の娘と結婚などしてくれるはずがない」と思い込んでしまいました。さらには「いつか自分もおかしくなって死んでしまうのではないか・・・」と最悪の予想をしていたのです。
私は新卒でコピーライターになりましたが、そんな精神状態だったので、仕事にも気合が入りません。雇われ根性丸出しの、落ちこぼれ社員でした。
大好きな彼氏もいて、バンドもやっていましたから、表面的にはお気楽で楽しい人生を送っているように見えたかも知れません。
友人の結婚式に呼ばれると、その場では歌ったりギターを弾いたりして楽しく振舞っていましたが、家に帰ると「私も結婚したいのに・・・」といつもひとりで泣いていました。
思考は現実化する。私は27歳の時、対人恐怖症に陥ってしまったのです。
そんな風に心を病んでしまった私でしたが、新卒から7年間同じ会社に所属していることに疑問を感じていました。もっといろいろな経験をすべきだと思っていたのですが、居心地のいい会社だったので、ズルズルと居続けてしまっていたのです。
そこで私は電話一本かけるのもコワイぐらい心を病んでいたのにもかかわらず、何と転職活動をはじめたのです。当然笑顔もなく、もちろん夢を語ることなどできません。そんな状態でしたから9社連続面接で落とされました。
そしてやっと拾ってくれた10社目の会社に入社したところ、想像を絶する激務が待っていたのです。週に2日は何とか終電で帰ることができましたが、後は会社に泊まったり同僚の家にご厄介になったり徹夜したりといった状態が続いたのです。
今度は身体をこわして会社をやめることになりましたが人目を気にする時間などない激務のおかげでいつの間にか対人恐怖症は治っていました。
■メンターとの出会い
やっと拾ってくれた会社を、何のあてもないのにやめてしまった私は途方にくれていました。
そんな時同じ業界の友人が「うちの会社で新規事業部を立ち上げることになったからこないか?」と誘ってくれたのです。そこで私はメンターとなる上司と運命的な出会いを果たしたのです。
それまでロクにほめられた経験のなかった私でしたが、彼は私を全面的に信頼してくれ、同志として接してくれ、いつも満面の笑顔でプラスのフィードバックを与えてくれたのです。
その後私はメンターのお誘いでITバブルまっさかりの東京に上京。ITベンチャーで働き始めました。
■私の人生を変えたコーチング
ITベンチャーはほどなく解散。その後も携帯コンテンツビジネスに関わっていた私でしたが、2003年頃にはブームは陰りを見せはじめました。私は「このままではヤバい。何か違うことをはじめないと」と思い、カウンセリングやコンサルティングの勉強を始めました。そうする中で出逢ったコーチングが私の人生を変えてくれたのです。
それまで人の話に満足に耳を傾けたことのなかった私でしたからコーチングを学ぶことで人間関係が激変。
さらに「自分の思考次第で望ましい未来を手に入れることができる」「人はいくつからでもやり直すことができる」というコーチングのフィロソフィーは大きく私を力づけてくれました。
母の死や自分の対人恐怖症という出来事のおかげで低いセルフイメージから抜け切れず、ヨロイで武装して「人生は闘いだ」と思っていた私は、この世界が愛と喜びで満ちあふれていることをはじめて知ったのです。
現在私は「ほめ方の極意セミナー」を主催して、“ほめる文化”を日本中に広める活動をしています。この“ほめる”というアクションもコーチングにおける重要なエッセンスです。
私の人生を変えたコーチングや“ほめ方の極意”があなたのお役に立てばこの上ない喜びです。

