(ウィキペディアから転載)
都会の森ガーデンの経営陣だった2003年の春、経理に集中出来ず、何気に都会の森で撮影中だったファッション雑誌SEDAのロケを見学していた。 ロケに影響され用意してあった100号キャンパスに咲き乱れる花を描き始めた。
その時、都会の森は筒井作品で溢れていたが、実際に絵を描き上げてゆく姿を見ていたスタイリスト西脇智代とヘアメイクの巨匠立野正の目に留まり才能を見出された。
かくして様々なロケ現場へ遊びに来るように言われ出入りするうちに、西脇のブランドNINITAのテキスタイルデザイナーとして契約。当時、都会の森の経営陣でありながら、デザイナーとして活動を開始したのが、この業界に入ることになったきっかけである。
その以前から、絵画や写真の受賞歴もあり船井幸雄メディアのデザインや舞台公演ポスター制作などアート活動を嗜み、 交流のあった大森南朋、天野タケル、狗飼恭子、大森美香、玉木宏など、多くの業界人にアーティストとしての影響を受けるが趣味の領域だった。
やがてアーティスト一本で生きてゆくことを決意、都会の森ガーデンを閉店している。
NINITAで描いたデザインは女優たちに評価され、宮崎あおい、長澤まさみ、深田恭子、石原さとみなど数多くの女優たちが衣装として着用した。
2004年の冬、中学生だった早乙女太一(当時13歳)と出会ったことから着物を制作するようになる。 その後、デザイナーに物足りなさを感じていたところ、吉見逸郎からメキシコの貝紫色にまつわる神話を聞きメキシコに旅立つ。 ミステカ族の結婚式を撮影する機会を得て映画化した「幻貝紫色」で監督デビューを果たし、日本郵政公社DM大賞を受賞した。
これを機に映像作家としても活動を開始する。 翌年には、YouTube公式チャンネルCameracamenfilmsの主席に就任した。
2007年の冬、早乙女太一の紅白歌合戦初出場の着物を手掛ける。
NINITAのデザイナーを辞任。得意としていた花柄に当時の流行を盛り込んだ多くのファッションを世に送り出した。
2008年の春、水沢彩や早乙女太一と番組を持つ。出演を重ねるごとに無口になり、フジテレビ『コラボネーゼ』では殆ど喋らなかった。 また、箸ブランド「TSUTSUIHAJIME×HYOZAEMON」が起こしたマイ箸ブームは40万本(膳)売れ話題を呼んだ。 やがて、天皇皇后陛下の使用する箸を手掛け、従来の作品から大きく飛躍した作品を発表した。
フジボウとのブランド契約に物足りなさを感じていたところ、レーサー服部茂昭から政府環境庁を紹介されカーデザインを手掛けるようになる。 半年後には、大相撲行司木村堅治郎の軍配「花美絵無」を手掛け北極に旅立った。 北極生活2ヶ月目、移動中の暴風に避難できず右足を凍らせてしまう。右足は腐りかけたが奇跡的に回復した。
土子達也の呼び掛けで日本へ戻ったところ、当時、船井幸雄グループ取締役であった響彩子に進言され神の絵を描き始める。
2010年の春、手掛けた「きみとも」のエージェント契約をインジェスターと結ぶ。
後に出版された著作「KIMITOMO(この世界はあなたのものだ。)」は人気を博し、紀伊國屋書店では売上ランキング1位を記録。
プロ野球読売ジャイアンツファンである。
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株式会社 Ha2
担当:土子
tsuchiko@hajimerock.com
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