■生い立ち
私が生まれたのは 日本最初のカラー テレビアニメ
『ジャングル大帝 』放送開始 された1965年のことです。
石原裕次郎のお墓がある 総持寺 があることで有名な横浜の鶴見で産声をあげました。
子供のころはいつもおとなしくて目立たないタイプでした。
お友達とお人形で遊んだりママゴトをしたり平凡な幼少期を過ごしました。
決して裕福な家庭ではありませんでしたが
両親、妹、友達に囲まれ幸せな子供時代だったと言えます。
家の事情で2回ほど転校をして友達と離れ離れになり
さみしい思いもしましたが
新しい友達ができる喜びを知っていました。
このころから人と接することが大好きでした。
■挫折
そんな私も高校を卒業後、大手自動車会社に勤めました。
順風満帆のように思えた私の社会人生活でしたが
人間関係で心身ともに疲れ果て、自律神経失調症に陥ってしまいました。
本来はもともとミーハーでアイドルが大好きだったので
芸能関係の仕事がしたかったのですが、
なかなか思うように自分のやりたいことができない
現実に悩み
親の期待にこたえられない自分に苦しみました。
■会社に辞表を提出、そして転職
親に相談もせず、会社に辞表を出しました。
コンサートに行くことが大好きだった私はコンサート関係の
スタッフになりたいと気持ちを捨て切れず
有名なアーティストの舞台美術をやっている会社に応募
したのです。
そして、念願が叶い好きな仕事ができるようになりました。
毎日好きなことを仕事としてできることに幸せをかみしめて
いました。
■自律神経失調症の克服
そんな充実した生活を送っていると
いつの間にか自律神経失調症の症状など
どこかに消えて吹き飛んでしまいました。
■転機
さらなる成長、そして夢だったコンサート現場での仕事をしたかった
私は自ら社長に志願して営業職に就くことを決意しました。
周囲は男性だらけのなかで女性の営業は私ひとり
多くの苦労が待ち構えていました。
スーパーアイドルの初ドームの担当に始まり
男性にはできない細やかな女性ならではの
応対で多くの素晴らしい仕事に次々と携わることが
できました。
■天職との出会い
しかし、年齢を重ねるごとに毎日終電で帰るような仕事に
疲労が蓄積して抜けきらない身体になりボロボロになって
しまいました。
そして、39歳のときにこれからの人生を見つめ直す
ことにしました。
このままでいいのだろうか。
当時に通っていた治療院の先生の勧めもあり
アロマセラピストの養成コースに通うことを決断いたしました。
それからは仕事の合間に夜は仕事を抜け出して、学校に通う生活が始まりました。
身体的にはつらい日々でしたが、
美容と健康について興味は人一倍あったので
毎日が充実していました。
そして卒業後、私は14年半勤めあげた会社に辞表を
提出し新たな一歩を踏み出す決意をいたしました。
■そして、エステシシャン・セラピストへ
天職のセラピストになりこの仕事で一生を生きていくことを
決めました。
私の今までの人生、いろいろな経験をし、その中で
失敗もありましたが成功もありました。
僅か3年で2763名の女性の美容と健康を
サポートしてきた実績をもとに基に
これからもひとりでも多くの女性の
活き活きとした笑顔のある美容と健康に
貢献していくことが使命だと決意しています。
今のあなたのコンディションはあなたが選択して
きた結果です。
これからのあなたの素晴らしい人生の
美容と健康に少しでもお役に立てればと
祈っています。
この成城であなたとお会いできることを
楽しみにしております。