俺の想い
本来の俺は、言葉を信じない。
信じるとか信じないとか論ずる事さえ嫌なのです。
しかし、そうは言ってられない時が多々あるから、いたしかたないのです。
なるべく言葉にしない方が、あるいは、口にしない方が良い時が多いのです。
互いが理解し合う時、その共通言語なんてほとんどないと思っています。
言葉に無い関係を続けてきて事を何処かで忘れさられた事実を実感し
世の中は口に出せば出すほど、自分の想いはますます空回りします。
そして、わかってもらえたかなあと半端に期待して、そのあげく想い通りの
答えがかえってこない事を恐れるのです。
そして、ますます、また孤独になります。
だから「そんな事わかってるだろう?」というところから常に出発するのです。
その人間の内側から発せられる手段が言葉だとすれば、さらにその言葉の
裏側というか、内側の想いを理解しようと努めます。
「なにを言いたいんだろうか?」と考えるのです。
自由人としてのわがままさからくるのでしょうか、面倒臭い性分がつくずく
嫌になる時が多いのです。
もうなおりません。
一人で居れば淋しいし、
他人と居るとわずらわしいし、
そういう関わりからくるいらだたしさから自分自身が生まれるのです。
想いっきり自分自身を見つめます。
そこに自分自身の命をかけます。
天(うえ)へ行きたい、天(うえ)へ生きたい、そう願って生きてきました。
精神世界の天(うえ)とは、努力の果ての死であり安らぎです。
もうこれ以上昇れないという肉体的、精神的苦痛を通りすぎた後の、
川のせせらぎに似た安らぎです。
男と女、人間の関係も同様です。愛とは与えるものだと思ってます。
なまじっか見返りを期待すると、愛情が憎悪に変わることが多いからです。
与えて与えて、尽して尽して、それだけです。たとえそれが燃え尽きて、
灰になったとしても、傷ついたとしても、己の中に「愛したんだ」
「こんな俺でも、人間を愛することができたんだ」と、
温もりを感ずることができます。それはとても暖かいものです。
相手にわかってもらえなかったとしても、それでもいいのです。
傷つけば傷つくほど他人に優しくなれるし、
他人がわかってくるし、人間として成長するからです。
だから、迷わず愛してしまおうとするのです。
たとえ、それがはかなくとも愛してしまうのです。
答えが見えているからとか、先が見えてるからとか、
そう考えて中途半端にその人間を愛したら、自分が成長しないし
自己嫌悪しか残らないからです。
愛とは与えるものです。
自分が好きであれば、それでいいのです。
食い足りないと感ずるには、それだけの理由があるのです。
それを理解しようとすると、相手を責めることのなります。
人間の感情とは、複雑に見えて実は単純だとおもいます。一番大切なのは、自分の命です。
命というより生命力です。
生きよう、生きようとする己の力です。それがなければ、他人をしあわせになどできません。
俺はいろんな責任をしょいこんで生きてます。
それを果たすまでは、生きていかなければなりません。
生きていく上で人間を傷つけてしまいす。
すまないすまないと思いながら、これからも生きていくのです
こんな男を演ずるのは、疲れます。しかし選んだ以上、演じきらねばなりません。
他人に対する思いやりや、愛情というものは、そうそう見えるものではありません。
ほんの一瞬の仕草で感じる以外にありません。
他人の愛のわかる
受信機も、成長という過程で微調整し、
しっかり受け止められるよう磨いておかなければなりません。
今、俺はその途中です。だから、俺は言うのです。「あなた達に会えてよかった」
本当に心からそう想ってます。